上野のゴッホ展を観に行った。
今は予約などで入場制限をしているので、定員満員でもそういう制限がなかった時に上野で開催される展覧会よりか、はるかに作品を鑑賞することができた。考えてみれば、会場で人の頭ばかり見て抗議もせずに、それどころが展覧会の盛況ぶりを自慢げに語ったりしてたのが普通だったつい最近。“普通”とは変だったりもするんだね。
当たり前だったことがそうでないと気づく。暗黙の了解だったことも、音をたてた。変わる。そんなことが少なからずあった。この一、二年。
さて、これから書き留めることは、そのゴッホ展の横で静かに開催されていた展覧会だ。
満員で人との間を縫って歩く際にぶつからないようにと気を使い、かつ作品をしっかり観たいという欲望を満たして、ちょっとばかり疲れていたけれど、チラシの絵が気になったのと、ゴッホ展のチケットがあれば入場できるということで、In。
戦中戦後から現在までの女性作家6人を取り上げていた、こちらの会場はゆったり観ることができた。3、4作品に1人というところか。うん、絵を観るにはこのくらいがいい。以下、会場を歩きながら感じたことを思い出して綴ってみる。あくまでわたし個人の頭の中のこと。何かを評価したり批判したりするつもりはない。
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ひとりの作家の変化に興味を持った。規則的な造形の作品であったのが、だんだんと不規則で有機的になってきて、心地良さを感じた。不規則だけれど、その一枚の中にルールというか基準みたいなものを感じる。きちんと配列されたものよりも、ゆらぎがあるものをわたしは好む。
作り出すところが、思考から身体感覚に変わっていったのかな。
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コラージュや絵画の作品に惹かれた。面白い。目が飽きない。
こんな方がいらしたんだ。自由みたいなものを求めていたのかな。経歴にあったが、人生後半は世界を旅したり、公募団体を離れたり。
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戦後の赤線と言われるところを撮った写真があった。作家は空襲でお父様を亡くされているようで、敵国(こういう表見でよいのかわからないまま使う)の人に媚びを売る女性たちにも、怒りのようなものを感じていたようだ。
けれどもそこに写っているものから、そんな怒りや憎しみをわたしは感じ取れなかった。
ただ人間の命の記録。
そこに直接、関わってないから、そう見えるのだろうか?
今、そこに写っている人、その子孫、どうしているのか。あの写真は今に繋がっている。当たり前だけど。
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ガラスの作品。
作家が制作活動をしているうちに、ガラスという素材に直面しているうちに、起きたことが作品となった。
ガラスという素材がひとつのテーマで、もうひとつ今生きている自分の感覚もテーマ。ガラスと真摯に関わっていくうちに、さらに深く、感受性が開いたんだよきっと。なんて勝手に想像する。
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木版画の作品。透明な、軽い、澄んだ、やさしい、どことなく懐かしいような感じ。軽くて中身がないというわけではない。そこには光とか幸福感というような明るいものだけが表されているわけではないと思う。でも、軽い。というか重くないんだ。そう、重くない。作家のいろいろな感情が表されているけれど、重くも暗くもないんだ。
時代、世代、なのだろうか。1980年代生まれのよう。
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水彩の絵。
戦中戦後を生き、60代70代くらいで絵筆を取り始めたようだ。
親しみのある魅力的な絵。身の回りの花や動物や風景が描かれている。
そこには少し重さや暗さが感じられる。それが嫌なわけではないけれど。
時代。
1980年代生まれの作家と戦中を生きた作家が近くに並んでいたからそう思ったのかもしれない。
時代の空気を人は吸っている。吸った空気は作品に出る。
そしてどんな時代でも作り手は吸った空気を吐き出して(浄化?濾過?圧縮?)作品ができる。そこはどの時代でも共通。
絵を観るってなんだろう。絵を観て心が躍る瞬間があるのはなんでだろう。描いた人の見たもの、感じたもの、体験したものが表現された絵。それを観る人は瞬時にキャッチする。感じる、体験する。
例えば、何かを体験して、こうこうこうだったのよ、それでね、良かったの、楽しかったの。と伝えることと基本的には同じ。
ただ、それがもっともっと緻密で、個人的で、人に気を使ったりしなくてよくて。
ならそれはインタラクティブではないのかな。インタラクティブにするには誰かの意志と時間と空間を要する。
そんなことを考えていると、ゴッホはどうだったんだろうと振り出しに戻った。生前に数枚しか絵が売れなかったけれどもその絵に惹かれた人は確かにいた。
ゴッホは描いた。ゴッホは投げた。
ゴッホが描いたものから沢山の人が受け取ってる。それをどこかに投げただろうし、これからも投げる。ただ生きているゴッホに投げ返せない。別のところでいい。
絵を通したコミュニケーションは時空を超える。
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